中央アナトリア地域は、トルコ中心にある地域です。乾燥した気候、異世界にきたような岩の風景が独特です。人類の文明の発祥地でもあり、紀元前8000年の集落跡も発見されています。トルコの首都であるアンカラ、世界遺産となっているカッパドキアがある地域です。
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アンカラの観光地 |
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アタトゥルク廟 |
■アタチュルク廟はトルコ建国の父と呼ばれる、初代大統領のムスタファ・ケマル・アタチュルクの眠る霊廟です。入口では厳しい手荷物検査がある。また大きな鞄やビニール袋の持ち込みは禁止。墓参の時は帽子を被らない事、また墓前で写真を撮る場合は背中を向けずに横向きの位置に立ち、撮影してください。
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アンカラ城・城塞 |
■トルコの首都アンカラにある城。古代ローマ帝国時代にガラテヤ人が築いた砦に起源する。7世紀に東ローマ皇帝ヘラクレイオス1世により、アラブ人の侵攻に備えて内側の城壁が築かれ、ミハイル2世の時代に外側の城壁が増築された。現在、城壁内は伝統的な建造物が残る庶民街になっている。
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アナトリア文明博物館 |
■アナトリア文明博物館は15世紀に隊商宿として建てられ、その後繊維製品の市場になった建物を博物館に改装したもの。館内は年代別に旧石器時代、石器時代、初期青銅器時代などの貴重な出土品をを集めた博物館で、中に展示されているものは紀元前230万年から始まっている。 |
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カッパドキアの観光地
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ギョレメ野外博物館 |
■カッパドキア(きれいな馬の国)には多くの岩窟があり、ここにギョレメ野外博物館がある。岩窟内部の多くはキリスト教会になっていた。西暦初めの頃、迫害を受けたキリスト教徒達がこの地に教会や住宅を作った。4世紀頃キリスト教は公認されたが、代ってイスラム教から身を守る為にさらに洞窟や地下都市で暮す事となりました。11世紀頃に作られたキリスト教会とフレスコ画の見学がメインの観光となります。 |
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カイマクル地下都市 |
■カイマクル地下都市の内部は、迷路のようになっており、太陽光が入らない為、方向性が失われてしまう。地下都市には、住居は勿論、礼拝堂、学校、厨房、食料庫やワイン醸造工場まであった。この地下都市の発祥は謎が多く、当時のローマ帝国と、その後はイスラム教の侵攻から身を守る為に、キリスト教徒が住んだと言われている。 |
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コンヤの観光地 |
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オブルックハンとオブルック湖 |
■オブルックハンとオブルク湖は、コンヤまで1時間の距離にあり、オブルクハンは13世紀頃の隊商宿、オブルク湖は牧草地の中にあり、澄んだトルコブルーの湖面は幻想的です。オブルク湖を見るには、所要時間が15分位ですのでスケジュールに組み込む事をお勧めします。トルコ各地で目にするお土産「ナザルボンジュウ(トルコの目玉)に似ていると地元の人は言っています。 |
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インジェ・ミナーレ |
■インジェミナレ神学校は1267年に作られた神学校だが、今は彫刻博物館になっています。イスラム教は偶像禁止なので、彫刻といっても、ギリシャやローマにあるような人間の彫刻はない。アラビア文字や幾何学模様の文様ばかりですが、繊細な細工が施されています。 |
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ハットゥシャの観光地 |
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ハットゥシャ遺跡 |
■ハットゥシャシュは紀元前1800年頃ヒッタイト王国の首都だった場所で、世界遺産に登録されている古代都市です。ただし、自力でまわるのは困難な場所なので、ツアーなどに参加するのがお勧め。1906年、ドイツの考古学者フーゴー・ウィンクラーによって発見されました。その後、発掘調査がおこなわれ、大神殿跡、突撃門や上の街神殿群跡、獅子門などが確認されている。
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ディヴリィの観光地 |
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大モスクと病院 |
ディヴリィの大モスクと病院は、シヴァスという町にあり、1985年に文化遺産として登録されています。 トルコ語では、Divriği Ulu Cami ve Darüşşifa(ディヴリィ ウル ジャミ ウェ ダリュシュシファ)、英語では、Great Mosque and Hospital of Divriğiと呼ばれます。デュヴィリイモスクはセルジュク様式の豪華絢爛な装飾が施されています。 |
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